2017年11月22日水曜日

vol.12「ハンテン」

出だしは英語の話だけど、英語の成績を伸ばす話じゃないよ(笑)







留学時代、TOEFLのスコアを上げるのに苦労したのがリーディングとリスニング。受験英語とは違ったやりにくさがあって、なかなかスコアが伸びなかった。しょうがないから、習うより慣れろという感じで、Newsweekだけをひたすら読み続け、外出のときもヘッドホンをつけて一日中CNNを聴き続けた。







そんなことをしばらく続けていたら、ある日突然、突き抜けた(笑)
急に全部わかるようになったんだよね。英語に関しては似たような話はよく聞くし、留学時代の友人も同じようなことを言っていたから、僕だけの気のせいではないと思うよ。







もやもやした霧が晴れるというのではなくて、辺り一面の風景が見渡せる場所に一気に飛び出た感じ。そのとき頭に自然と浮かんだのが「突き抜ける」だった。もしかしたら「腑に落ちた」って思ったのだけど、「突き抜ける」の方がカッコよさげだから、記憶を書き換えたのかもしれないけど(笑)







どっちにしても、その経験から「頭でわかる」ことと「身体でわかる」ことは違うのではないかと思い始めた。それはつまり、僕らは言葉で考えるから、「頭の言葉」と「身体の言葉」があるのだろうなとも思った。







集中力全開のときは、頭もフル回転しているから、「頭の言葉」が活躍する。でも、調子が悪いときは思考力も鈍り、うまく考えることができなくなる。そのときに使われるのが「身体の言葉」なのだろうと。それは自分の身体の隅々に染み付いている体験や、腑に落ちたことに支えられている言葉なのだと思った。







この「身体の言葉」は外見に現れる。行動だけじゃなくて、声や表情や仕草にも全部現れる。気持ち悪い印象を与える人というのは、「頭の言葉」と「身体の言葉」がつり合っていないんだ。両方とも同じ重さでなければ、バランスがとれない。







「突き抜ける」というのは、一気に「身体の言葉」の語彙数を増やすことだ。でも、毎日の生活があるので、何かひとつだけにかかりきりになることはできない。何かひとつに打ち込んで「突き抜ける」のは理想的かもしれないけど、現実的じゃない。







水が布に染み込むように、少しずつ「わかる」こともあるけれど、本当に大切なことというのは、ある日突然わかる。ふとした弾みで、隠し扉の向こう側の部屋にくるりと出るように。







例えば、負けず嫌いの意味が、他人との勝ち負けではなく、自分のとの勝ち負けであると気づいたとき。勝ち負けという誰かが作った枠があるだけだと気づいたとき。







それは「反転」という表現が腑に落ちる。







その「反転」は、「突き抜ける」とは違って、特別な挑戦は必要ない。今、自分が生活している場所で、くるりと反転する。それは「頭の言葉」と「身体の言葉」がつり合っているときにしか起こらない。誠実とか謙虚というのは、この状態を示しているとも言えるね。







反転できる人とのコミュニケーションは楽しい。思わずたくさんのことを伝えたくなる。そういう人には、いくら手間がかかっても全然惜しくない。反転が次の反転を呼ぶことが腑に落ちると、次々と反転していく。その様子を見るのが嬉しい。







(→NEXT












0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。